あそびがあそびになるとき
——「劇場留学〜お芝居をつくる7日間〜」にて

更新日:2024.2/12(月・休)

 2023年夏、劇場でしかできないスペシャルな体験を楽しんでもらおうと開催した「三の丸ホールの夏休み『劇場留学〜お芝居をつくる7日間〜』」(2023.8/21〜27)。当館初の本格的なワークショップ事業を、研究者の方からの視点で語っていただくべく、演劇評論家の高橋宏幸さんにワークショップ開催中の8月25日(金)、「劇場留学」の空間を共有していただきました。今回は、この事業を総括した寄稿文をご紹介します。

三の丸ホールの夏休み「劇場留学〜お芝居をつくる7日間〜」 概要
日時 2023年8月21日(月)〜27日(日)
スケジュールの詳細は公演ページをご覧ください。
参加者 <劇場留学生>
小学3〜6年生 14名(小田原市内、南足柄市、開成町)
訪日外国人 4名(スリランカ,フィリピン,フランス,イギリス)
<中学生サポートスタッフ>
1名(小田原市内)
「劇場留学」ガイド 川口智子(演出家)、せせらぎ(大道芸人)、北川未来(映画監督)、横原由祐(舞台照明家)、鈴木光介(音楽)※8/23のみ
会場 小田原三の丸ホール 小ホール
小田原市観光交流センター イベントスペース

テキスト:高橋宏幸(たかはし・ひろゆき)

1978年岐阜県生まれ。演劇評論家。桐朋学園芸術短期大学演劇専攻准教授。編著に『国を越えて アジアの芸術』。『テアトロ』、『図書新聞』で舞台評を連載。評論に「プレ・ アンダーグラウンド演劇と60年安保」(『批評研究』)、「原爆演劇と原発演劇」(『述』)など。日本女子大学、多摩美術大学などで非常勤講師。世田谷パブリックシアター「舞台芸術のクリティック」講師、座・高円寺劇場創造アカデミー講師。俳優座カウンシル・メンバー。Asian Cultural Councilフェロー(2013年)、司馬遼太郎記念財団フェロー(第6回)。

2023.8/21(月)「劇場留学」初日

 ひと昔まえには、よく耳にしたことばだろうか。プレイ(Play)という英語には、あそぶという意味があり、演劇という意味もある。だから、演劇とはあそびのこととさかんに言われた。
 そして、いまでは多少は聞き慣れたことばとなったワークショップやアウトリーチが、演劇はもちろん、ダンスや美術、音楽など、さまざまなジャンルで行われるようになった。演劇からあそびの要素が取り出されて、ワークショップや作品づくりのために応用された。緊張をほぐしたり、リラックスしたり、準備のためにあそびは使われる。演劇や舞台芸術にかかわるもの、もしくはワークショップを経験したことがあれば、だれもが一度はその要素を体験したことがあるだろう。シアターゲームやインプロビゼーション(即興)など、さまざまなあそびの要素が用いられている。

2023.8/22(火)「劇場留学」2日目

 ただし、いまではあそぶことに慣れてしまったのかもしれない。ワークショップがそこかしこで行われて、あそびはいつしかひとり歩きして、間(ま)を埋めるための道具のようになりつつある。そこでは、ある成果を得るために、目的のために、あそびが手段としてつかわれる。
 しかし、あそびを思想として、その定義をつけたロジェ・カイヨワ*にならえば、あそびの本来もつ性質からすると、あそびとは自由なものであり、非生産的な活動である。あそびがあそびであるためには、なにかを得るための手段として使われるものとはちがう。あそぶことそれ自体が目的として、あそばれるべきものだ。

*ロジェ・カイヨワ(1913-1978)=フランスの文芸評論家、社会学者、哲学者。代表作に、“あそび”にかんする研究書「遊びと人間」(1958)などがある。

2023.8/24(木)「劇場留学」4日目

 そのように考えたときに、あそびそのものを見つめなおす機会が、小田原の三の丸ホールが企画した「劇場留学〜お芝居をつくる7日間〜」にはあった。 参加者は、小田原と近郊に住む小学3年〜6年生のこどもたちと、母国語を外国語とする訪日外国人の大人3名。 一週間のワークショップを経て、最終日にはホールにてお芝居の発表がある。演出家の川口智子をはじめ、 道芸人のせせらぎ、映像作家の北川未来など、さまざまなスタッフが小田原をまわり、「しらべの旅」をしてからワークショップにのぞんだ。
 ワークショップの内容として、日々なにが行われていたかは、こちらのブログサイトの「留学の記録」(記録者:斎藤明仁)に報告がある。もちろん、一週間という期間は、舞台で作品を上演するためにはとても短い。ふつうならば、上演という目的のために最短距離を目指して稽古をしなくてはいけないだろう。しかし、稽古場はその大部分がまるであそびのなかにあった。
 少なくとも、私のような、稽古場をふらりと訪れてその風景を眺めた観察者にとっては、こどもたちの楽しくあそんでいる姿しか見えなかった。いや、あそびを超えて、日常では出会えない新しい劇場(ホール)という新しいおもちゃのような異空間で、ひたすらはしゃぐ姿があった。(もちろん、大人たちスタッフは、はしゃぎすぎるこどもたちに事故やケガがおこらないように目くばりをして、気が気でなかったろうが……)

2023.8/25(金)「劇場留学」5日目

 ワークショップで行われたことも、あそびのためのさまざまな要素を提供していた。
 たとえば、それぞれの家から学校までの地図を描き、それらをつなげて町をつくってみる。そこに架空の生物を創造して住まわせる。架空の生きものをすぐに描けるところは、こどもたちの豊かな想像力ならではだろう。そのイメージは自由奔放だ。そして、こどもの行動範囲による、自分たちの住む地域の町が浮かぶ。それは、単に狭い範囲と片づけられない。むしろ、こどもの視線から見た町の姿がある。そもそも、町をつくる都市計画などは、シムシティなどのゲームでもあるように、壮大なあそびだ。
 他にも、日々さまざまなあそびがある。小田原ならではだろうが、発祥の地として辻で物売りをする外郎売りを真似てみること。そして、商人のように売買をみんなでやってみる。その体験も、ごっこ遊びの一種だ。
 参加者同士でインタビューをして、過去の記憶を聞き、それを聞いたものが代わりに語る。これは、演劇という形式がしばしば使う方法だ。インタビューによって話を聞き、そして伝聞や推定など言伝の形で伝える。古い形式の演劇から現代まで、とくに古典芸能などに必ずある手法だ。
 そこにあらわれるのは、こどもたちの記憶のおもしろさだ。年齢をある程度経た大人や老人が、古い記憶を掘り起こすことはある。しかし、年齢や時間の経過に関係なく、こどもたちにとっても同様に過去の記憶はあるのだ。いや、こどもたちの時間軸の方がはやいから、すぐに思い出となるのだろうか。たとえ数年前のことかもしれなくても、かつて住んでいた町やその時の記憶が、リリカルに、抒情的に記憶の語りとして描かれる。もちろん、それらの答えを導くような質問も周到に用意されている。
 さまざまなあそぶための要素は日々持ち込まれた。歌をつくり、音楽と触れ合ったり、音楽に合わせて踊ってみたり。歌や踊りは、陶酔的な楽しさのあそび。だれかにインタビューをして伝聞して話すことは、演じるというあそび。こどもたちが気づいていなくとも、さまざまな種類の遊びが開陳された。

2023.8/27(日)「劇場留学」プレミア 撮影:五十嵐写真館

 それらのいくつものあそびが、徐々に演劇という形式に集約されて、最終日のお芝居に盛り込まれた。いや、むしろ日々のあそびが、お芝居というひとつのつながりとなったと言った方がいいだろうか。一時間程度の短い発表だが、こどもたちはあそびのなかにあった。
他にも、ワークショップで行われて、発表のなかでとりあげられたことはたくさんある。こどもたちが工作したいくつもの箱は、広げたり、箱にしたり、ときには影絵を投射できるミニチュアの劇場のようなボックスにもなった。
 また、夜のシーンでは、昆虫たちの思いを想像して話した。それは、人間の能力である感情移入というものを、こどもならではの優れた想像力として示している。「もの」や「こと」など、動物に限らず、人形や毛布など、たとえそれが人間や動物の形をしていなくとも、あらゆるものに感情移入ができる。それは、動物やものとの境界が、まだ明確に線引きされていないともいえるが、より自由な状態なのだ。自由に対象から思いを呼び出し、対象に思いを投影できる。それは、成長するにつれて、対象との間に境界ができて、あまりやらなくなることだ。

2023.8/27(日)「劇場留学」プレミア 撮影:五十嵐写真館

 挙げればきりがないが、これらのさまざまなあそびから作られた発表は、一見したところ、物語のような明確な筋は見出しづらいかもしれない。なんらかの筋立てはあるかもしれないが、観客からはあそびの構成によって、さまざまな展開があらわれたように見えるものだ。
たしかに、舞台として上演することを考えれば、観客に見せてはじめて舞台は成立する。とくにプロフェッショナルな舞台作品であれば、極論すれば、観客を楽しませるために舞台はある。ワーク(仕事)として上演はあり、演じる本人の楽しさは関係ない。
 ただし、観客もしくは観衆がいるから、さらに楽しめることもある。いわば、見られることによる楽しさ、そこにも快楽はあるからだ。あそびの種類のひとつである競争(スポーツ)や、賭け事(競馬など)などは、最たるものだ。競争ではなくとも、舞台もまた観客や観衆という目があればあるほど、さらにもりあがるときがある。
 今回の発表は、誰かを楽しませるよりも、むしろあそびを精いっぱいするこどもたちが、より楽しんだ、といったほうがいいかもしれない。あそびとは本来、誰かを楽しませるものとは違う。最初に述べたように、無目的に、だれのためでもない、自分たちが楽しむためにあるのだ。もちろん、誰かに見せることによって、それを自分の楽しさへと転化することはある。だから、参加したこどもたちの反応はさまざまだ。ふだんよりはしゃいだ子もいれば、緊張してしまう子もいただろう。
 この作品は、観客を巻き込むシーンとして、擬似的に観客と売り買いをしてみるシーンもある。それを含めて、自分たちがより楽しくなったのではないか。その楽しむための要素を用意して、その楽しむ能力を最大限に発揮させること。それが、この「劇場留学〜お芝居をつくる7日間〜」というワークショップと発表とが同一となった、「あそび」の時間だったのではないか。

\ 入場無料・予約受付中! /

「KAATカナガワ・ツアー・プロジェクト×劇場留学」トーク&上映会
[日時]2024年2月14日(水)18:30〜19:45(開場)
[会場]小田原三の丸ホール 小ホール
[出演]
・長塚圭史(劇作家・演出家・俳優、KAAT神奈川芸術劇場 芸術監督/KATカナガワ・ツアー・プロジェクト 第二弾 作・演出・出演)
・川口智子(演出家/劇場留学 ガイド)

イベント詳細ページ

 関連映像 
 小田原三の丸ホールのYouTubeチャンネルでは、公演終了後に、参加者(劇場留学生、中学生サポートスタッフ)の方からくじで決定した2〜3名や、ガイド、当館スタッフへのインタビュー映像【楽屋ばなし】(撮影・編集:北川未来/映像作家・「劇場留学」ガイド役)を毎日制作し、ご紹介していました。
 ▶︎【楽屋ばなし】プレイリストから、ご覧いただけます。


ページトップ